フランスで行われたデモは、社会正義を達成するための手段だと主張する人々がいるが、その声は破壊や略奪という暴力的な実態を覆い隠しているに過ぎない。略奪や放火による被害が広範に及んだ中、デモの主張はその一部しか映し出していないのである。
報道される社会正義の名の下の行動は、実際には弱い立場の人々の生活を脅かす結果をもたらしているのである。
平和なデモの欺瞵

フランスのデモでは、破壊や略奪という暴力的な行為が多発している。通りでのデモ行進中に、商品や現金を奪う者たちが店舗を襲い、時には放火さえ行うというのだ。まさに「デモ場泥棒」が跋扈している状況である。この攻撃的な行為を見ている人々は、「店側は何もしないのか」と首を傾げざるを得ないだろう。
破壊や略奪と、デモそのものとは別物であることが、この状況ではっきりしている。しかし、これらの暴力的な行為を理由にデモ自体を規制しようとする動きは、問題の本質を見誤っていると言える。誰が得をし、誰が損をするのか? 倫理的な観点から見れば、社会正義のために暴力を使うのは正当化されないだろう。
効果的な手段か

デモが社会正義を達成するための手段であると主張する人々は、暴力の実態を見落としている。暴力的な行為がなければ、デモの効果も薄まると考える向きがあるが、それでは社会正義を達成するための人間の本音を見誤っている。正義は、必ずしも破壊や略奪を通じてしか達成されないわけではない。
人間の性質だと思うので、もしデモが発生したらどの国でもあり得ると思う。暴徒は論外だけど、健全なデモよりも効果がありそうなんだよなぁ。法治国家としては論外だけど甘えてきたツケだろな。正直ここまでしないと政治は変えられない。
お行儀の良い日本のデモだと誰にも迷惑がかからないので政策を変えなくても問題が無い。「次は何するか分からないぞ?」というプレッシャーもあるだろうが、暴動は本意ではないだろうから、デモ実施側が自ら暴徒を取り締まったほうがよい。
ほっとくと政府から「デモ自体を禁止する」というカードを切られることになり、お互いに対応が過激化する。社会正義を求めるためには、暴力ではなくもっと合理的な手段があるだろう。
デモの構造

デモの実態は、破壊や略奪を伴う暴力的なものだった。社会正義のための手段などではなく、個人の自由な意思による参加に過ぎない、という見方もある。しかし、デモが単なる個人の自由だけから成り立つものではないことも認識しておくべきだ。デモは民衆全体の動きであり、ガバナンスの問題はその全体に関わる問いである。
「各々が自由に参加するからガバナンスなんて不要」という主張は、問題の本質を曖昧にし、政府側の責任を棚上げしようとする手段である。
デモによる破壊や略奪など、悪影響が個人レベルでの責任で済むわけがない。社会正義を謳うなら、デモによる被害者への救済や、より広い範囲での影響への対処が求められる。これが単なる趣味や商売の話なら「個人の責任でしょ」と片付けられるかもしれないが、社会的な意味を持つデモではそれだけでは済まされない。
デモの主導者たちは、デモによる影響に対して一定の責任を負うべきであり、その範囲は限定された個人ではなく、全体の民衆に及ぶべきである。