「結婚したいのに、なかなか叶わない…」そんな声がネット上ではよく聞かれる。結婚が遅れ、子育て世代の羨ましさを感じている筆者だが、結婚はただ願望だけでなく、経済的・社会的なハードルも高い。多くの人が諦めざるを得ない現実があるのだ。
結婚の遅れ

結婚が遅れると、周囲の幸せな家族の姿に羨望の眼差しを向けてしまうのは、誰しもが経験があることだろう。それはまるで、「この苦しい時期を一緒に乗り越えよう」という声が遠くで聞こえてくるようなものだ。かつて給料は低くても夢を追うことができた神田川時代に、自分は伴侶に出会えなかったのだと感じる。
結婚は何歳になっても叶うと言われても、他人事である。30歳を超えてジジババの片足を突っ込んだ状態で結婚相手を探すのは、問題だらけだ。
氷河期世代の苦しみは単純な年齢問題だけではない。受験戦争やバブル崩壊の影響で、結婚や家族を持つことが困難な状況に追い込まれたのだ。結婚が遅れたのは、単なる年齢のせいではなく、時代の波に翻弄されたからである。子育てを含む完全な家族像を手に入れるのは難しくても、結婚だけなら諦めない選択肢もある。
しかし、この氷河期世代を見殺しにした政治や社会の責任は大きい。未来を一緒に夢見られる相手に出会えなかったのは、時代のせいである。
氷河期世代の現実

氷河期世代の現実には、安定したパートナーを見つける余裕などない。受験戦争とバブル崩壊の影響を受けた彼らにとって、日々の生活に追われるのが精一杯である。「猫より早く死なないのが目標」という声があるように、幸せな結婚や家族生活は遠い夢のまた夢なのである。
氷河期世代は親の借金を背負い、自己破産の可能性さえも頭を覆う重石として感じる。
政治や社会がこの「難民」を見殺しにしている。形式的な結婚を求めるだけでは解決しない。出会いの機会すら巡ってこない現状で、気の合う異性と巡り合うこと自体が難題である。子育てやマイホームのローンといった経済的負担も、氷河期世代の幸福を遠ざけている。
「全部氷河期が悪い」と一概に言うべきではない。だが、この世代は日々の生活に追われ、親の借金や自己破産の可能性を背負いながら、家族を持つことを諦めざるを得ない現実が横たわっている。安定したパートナーを見つける余裕などないのだ。福祉や就職支援など、社会全体で彼らを支える手立てが必要である。
結婚の価値観

結婚の価値観は確かに多様化している。形式的な結婚だけを見て幸せと定義するのはさみしいものがある。大切なのは、具体的な誰かと幸せを分かち合いたいと思う意識である。
子育てや家事といった結婚生活の側面に新たな価値を見出す人が増えている一方で、「子供がいるだけで幸せ」と考える古い価値観もまだ根強く残っている。この違いは時に、同じ言葉でも全く異なる意味合いを持つことを示している。
誰と過ごすかが決定的な要素である以上、抽象的な「誰か」という概念ではなく、具体的な「誰」と一緒であることが求められるべきだ。そして、「いい人」だと思われることよりも、経験を共にし、互いに成長し合えるパートナーを見つけ出せれば、それは大きな幸せと言えるだろう。
一方で、「子供がいるだけで幸せ」と考える人々は、その認識の時点で幸せの定義を見誤っているようにも思える。